妻沼手づくり市に協賛で、今回は「楽しみいろいろ展」です。
・観音信仰:観音菩薩図、錦絵観音霊験記、朱印帳 ・七福神:七福神図、谷中七福神縁起、大阪七福神図、寄居七福神絵馬
などなど ・錦絵 ・革工芸と盆栽を展示。
●観音信仰
平成25年12月から平成26年2月の間、埼玉県立嵐山史跡の博物館で「観音霊場と武士」展が開催されていました。企画展の趣旨は、鎌倉将軍家や武蔵武士が深くかかわった坂東札所の成立過程や意義、百観音の一つとして広く知られている秩父札所の成立期の姿の再現等々、興味湧く企画展でした。
特に、江戸時代末期に出回った錦絵「観音霊験記」の展示には、驚かされました。私たちが普段使う写真入りガイドブックと比べると、当時の文化レベルが高いかなと感心しました。
今回展示したものは、埼玉県デジタルライブラリーの画像データを使用しました。一緒に「竜頭観音菩薩像」の掛軸が傷んでしまい、パネル貼りにしリニューアルしました。こうすると、床の間以外にも展示できます。
●七福神
観音霊場めぐりと同様に「七福神めぐり」も江戸の庶民の熱い信仰の対象でした。江戸で最も古い「谷中七福神」の縁起に次のように記されています。
「上野東叡山の開祖天海僧正は徳川家康公と会見の折に『公は後に天下を治め給う福徳を具えた吉相をお持ちである』と申し上げ、その予言は敵中し、家康公は征夷大将軍の栄職に就かれました。後年天海僧正は家康公に『公の生涯は全く長寿、富財、人望、正直、愛敬、威光、大量の七福を具え給うにより、天下を統一し平和な国土を築かれたが、これは神で申し上げると丁度寿老人の長寿、大黒天の富財、福禄寿の人望、恵比須の正直、弁財天の愛敬、毘沙門天の威光、布袋の大量の御徳を表したものと云うべきである』と申し上げましたので、公は大層お喜びになり早速、狩野法眼探幽を召されて七福神の絵を画かれて尊崇されました。江戸時代、正月に七福神詣でといって不忍池の弁財天、上野護国院大黒天、谷中天王寺の毘沙門天、谷中長安寺の寿老人、日暮里修生院の布袋和尚、日暮里青雲寺の恵比須、田端東覚寺の福禄寿に詣でました」
熊谷人物事典(日下部朝一郎編著、昭和57年刊)の中に、熊谷七福神の記事を発見。
「熊谷の七福神参りは、昭和17年に斎藤茂八市長が『歩け歩け』運動を提唱し、市内の社寺を訪れるという、健康増進を兼ねたハイキングコースのはしりであった。」福禄寿上之村神社、大黒天高城神社、福禄寿石原赤城神社、布袋玉井寺、毘沙門天石上寺、弁財天賢勝院、寿老人久下東竹院」
今はどうなっているのか、これから調査してみましょう。
①考える庭(2012年10月27、28日)
平成24年10月27,28日開催の妻沼手づくり市の協賛者として庭を使った企画展示「考える庭」をテーマに、若くてチャレンジャーの相棒を得て、44歳の年の差を超えたコラボレーションに挑戦。
作品A(若い相棒)
切り株の周りに木の枝と竹を円錐状に立て掛ける。何を表現?
コーヒー豆の樽に木の枝を放り込む。投げ入れ?
作品B(若い相棒)
小枝で鳥を表現?
何だろう?そう考える庭だから。
作品C(私)
アクリル板にアクリル絵の具のゴールド色を使い般若心経を書く。それをゲートとして設置してある柱に取り付ける。
評価?・・・・・・。