2012年(平成24年)5月18日に、国の文化審議会から文部科学大臣に答申が出されました。
文化庁が報道発表した内容をそのまま掲載します。
「歓喜院は高野山真言宗に属し、治承3年(1179)の創建と伝わる。現在の聖天堂は、享保5年(1720)に歓喜院院主海算が再建を発願、民衆の寄進を募り、地元の大工林兵庫正清によって建設されたものである。
奥殿、中殿、拝殿よりなる権現造の形式で、延享元年(1744)に奥殿と中殿の一部が完成し、宝暦10年(1760)までに中殿と拝殿が完成した。とくに奥殿は多彩な彫刻技法が駆使され、さらに色漆塗りや金箔押などによる極彩色を施してきらびやかに飾る。また、拝殿正面を開放として参拝の便をはかるなど庶民信仰の隆盛を物語る建物である。
聖天堂は、江戸時代に発展した多様な建築装飾技法がおしみなく注がれた華麗な建物であり、技術的な頂点の一つをなしている。このような建物が庶民信仰 によって実現したことは、宗教建築における装飾文化の普及の過程を示しており、我が国の文化史上、高い価値を有している。」
●建築装飾の技術的な頂点の一つ
聖天堂が国宝に指定された理由の大きな点は、「建築装飾の技術的な頂点」ということです。
それでは、建築装飾というのは、いったい何でしょうか。
建築の専門家は、「建築は、彫刻・絵画などと違った『用』と『美』の両方を目指した、いわゆる『実用芸術』あるいは『応用芸術』の一部として歩んだ。
構造的に完全であり、機能的にも十分である姿の『用』に何かが付加され一層完全で好ましい建築となる『美』が目指された。そして、建築に付加された美が最高点を迎えたのは、桃山時代から江戸時代である」、と定義しています。
また、窪寺 茂氏は、寺社の装飾建築について、次のように述べています。
「寺社建築は、境内や参道などの空間を含め、宗教的行為の特質が造形化、空間化したものといえる。したがって、そこに非日常な時空間(非日常性)が現出されることは、神社仏閣にとって非常に大事なことであり、そのための具体的な手法に『建築構造の意匠化』と『建築の装飾化』の二つがある」。
建築の美の最高点を求め、非日常な時空間(非日常性)の現出に、装飾の技術が総動員された結果が、聖天堂ということになります。
そして、その装飾の技術が、彫刻(木彫り)・金具(金工)、漆塗り、彩色であり、各分野の職人の技が発揮された作品ともいえます。
参考:江戸の装飾建築ー近世における建築の解放ー窪寺 茂著 INAX出版 1994年10月25日発行