大我井神社

 現在地の大我井神社は、明治元年に出された神仏分離令によって、聖天様と一緒に祀られていた神々を、新たな社殿を建てて移し、地名を取って名付けられたました。

 旧妻沼町誌に「當社は人皇12代景行天皇の40年(111年)日本武尊 東夷征伐の砌り、軍糧豊饒の為に二柱を祭り始めて大我井森に稲置を建給いし社なり」、二柱とは、伊弉諾(いざなぎのみこと)伊弉冉(いざなみのみこと)のことです。

 また、埼玉の神社誌には、鎮座地は利根川右岸に半島状に突き出した自然堤防上にある周囲は低地で、太古、利根川乱流した折に大海のようになり、水が引くと大きな沼が二つ残った。古代の人々は水の霊が宿ると信じた。このため、この二つの沼を望む自然堤防の突端に社を設け、季節ごとの祭をこなった。その社とその周辺は、巨木が林立し昼なお暗い森を形成していた。森は、現在の『大我井神社』と『聖天山』の境内地を合わせたほどの広さで大我井の森と呼ばれる神域であった」、と記述されています。

 更に、埼玉の神社誌は、平安時代にこの地方一帯に入植した渡来人によって、大我井の森に「白髪神社」が祀られ、後に、斉藤別当実盛は、大聖歓喜天を「白髪神社」に合祀したと述べています。

 「白髪神社」は、別に記述しますが、うっそうとした樹林地の中に、二柱神社、白髪神社、聖天宮が祀られていたのでしょう。

 この地域のルーツとなっている大我井神社の神々も、何時しか影が薄くなり、昭和の時代に勧請された富士浅間神社の火祭りが、主の祭事と思い違いされるこのごろですから、聖天山と最も関わりのある神社として、年間祭事を載せてみました。

[歳旦祭 1月8日]

  元旦祭ともいい、元日は新しく年を数える日ですから、数え年では元日に一歳年を取ることになります

 歳旦祭は、新しい年・月・日を寿ぎ、年神様に感謝し、神前に皇室・国家・国民・氏子・崇敬者を言祝ぐ神事です毎年1月8日に行われます。

[祈年祭2月28日]

 わが国の社会文化は、本来稲作中心の農耕社会を基盤として成立しており、春に年穀の豊穣(ほうじょう)を祈り、秋に豊作を感謝する祭り(新嘗祭)を行うのが農耕祭祀(さいし)儀礼の基本となっていました。11月28日に行われる新嘗祭と対応している祭りです。

[例祭4月17日]

 例祭は年一回多くは祭神の神社に特別の由緒のある日に行われます

 神社にとってもっとも重要な祭祀(さいし)で、例大祭ともいいます。祭日は神社ごとの歴史、由緒によっており一様ではないのですが、多くは祭神や鎮座にゆかり深い、大切な日があてられ、みだりに日時を変更することは許されない性質のもので

 4月17日と定められています。

[火祭り8月27日]

 1979年(昭和54年)冨士浅間神社を、大我井神社の摂社となりました。この年より鎮火祭(火祭り)が始まりました。

 冨士浅間神社(せんげんじんじゃ、あさまじんじゃ)は、富士山の神霊浅間大神と木花咲耶姫命を主祭神とし、富士山本宮浅間神社(静岡県富士宮市を総本宮とする神社

[新嘗祭11月28日]

 新嘗祭の「新」は新穀を、「嘗」は、ご馳走を意味します。毎年11月に全国の神社で行われ、新穀を得たことを神様に感謝する新嘗祭は、五穀豊穣を祈願した祈年祭と対応する祭りです。

 11月28日に行われます。

[大祓い 12月28日]

 大祓は、日本人の伝統的な考え方に基づくもので、常に清らかな気持ちで日々の生活にいそしむよう、自らの心身の穢れ、そのほか、災厄の原因となる諸々の罪・過ちを祓い清めることを目的としています

 12月28日に行われます。