埼玉県と熊谷市の計画

 妻沼聖天山を取り巻く埼玉県と熊谷市の計画などを整理してみました。

 埼玉県は平成23年に「歴史のみち景観モデル地区」として、吾野宿(飯能市)・深谷宿(深谷市)・妻沼地区(熊谷市 聖天山周辺)の3地区を指定しました。現在は8地区が指定しました

 同時期に熊谷市は、平成22年熊谷市景観条例施行し、聖天山周辺地区を景観誘導地区に指定し、平成23年度から「聖天山周辺地区景観形成事業」をスタートさせ、平成26年3月に「聖天山周辺地区にふさわしい門前町景観まちづくりプラン」(景観まちづくりプランと略します)策定しました。

 更に、埼玉県北部地域振興センターにより、平成26年3月に「縁結びのまちめぬま地域ブランド戦略実戦プラン」が策定されました。

 埼玉県と熊谷市の計画を整理しながら、聖天山の景観の課題を取り上げてまし

(写真 妻沼聖天山斎藤別当実盛公像)

 

●埼玉県「歴史のみち景観モデル地区」の施策

 「歴史のみち景観モデル地区」とは?

 埼玉県の趣旨は、次のとおりです。難しい表現です。

《県内の旧街道や旧宿場町、城下町などの歴史的拠点や軸を明確にし、埋もれている歴史的資源を発掘し、保全・活用する「歴史のみち広域景観プロジェクト」に平成22年度から取り組む》

 との趣旨で、平成23年度に吾野宿(飯能市)・深谷宿(深谷市)と一緒に妻沼地区(熊谷市 聖天山周辺)が指定されたました。

 埼玉県は、施策の周知を図るための事業を、指定と同時に始めました。

 講演会や当該地区のまち歩き事業実施されました

写真 県道羽生妻沼線妻沼手づくり市(2018.4.21撮影

 

●景観まちづくりプランの策定経過と内容

 埼玉県と熊谷市が歩調を揃えて、聖天山周辺地区の景観まちづくりが動き出しました。

 平成23年7月熊谷市景観審議会で「妻沼聖天山周辺地域における良好な景観形成に関する施策を推進する上で必要な事項」が提言されました。

 平成23年8月に埼玉県「歴史のみち景観モデル地区」として指定されました。

 これより計画づくりや事業が始まりました。

 景観まちづくりプランの策定までの間、アンケート調査・講演会・ワークショップ・先進市視察等々が行われ、平成26年3月景観まちづくりプランが策定されました。

写真 妻沼聖天山周辺地区の将来図(景観まちづくりプランより)

 

計画の目玉として位置付けられた「県道羽生妻沼線」(聖天山境内南側を走る県道)の整備事業が動き出しました。計画が策定されると同時に事業が動き出すのは、素晴らしいことで、埼玉県のやる気に驚きました。

 次に聖天山と歓喜院本坊を結ぶ「市道1135号」の整備です。埼玉県のやる気に刺激された熊谷市も早急に着手することでしょう。

写真 県道羽生妻沼線工事風景(2018.5.26撮影

 

計画に示されたもう一つの県道太田熊谷線整備に期待をしたいですね

 計画の整備方針は4柱。上記道路3本。4つ目が「路地や水辺を生かしたお散歩軸の整備」です。

 熊谷市都市計画課に景観まちづくりプランの現況を問合せしたところ、平成24年度から28年度までの事業費は、約670万円でした。

 事業は継続していて平成29年度ワークショップ(平成29年10月14日県道羽生妻沼線手押し信号脇花壇の整備)、まち歩き、市道1135号線の測量。30年度はニュースレターの発行ということでした。

ただ、残念なのは、市道1088・1120号線が忘れられていることです。

写真 県道羽生妻沼線手押し信号脇花壇(2018.5.26撮影

 

●埼玉県北部地域振興センターは、「縁結びのまちめぬま地域ブランド戦略実戦プラン」を26年3月策定に策定しています。  策定の背景は、妻沼聖天山の国宝指定により、まちが注目を集め埼玉県内外から多くの参拝者が訪れる中、商店街の空洞化や核となる地域ブランドがないために、地域への波及効果が十分でないとの危機意識の下に、策定が進められたようです。

平成25年度事業として実施。計画は3本の柱を立てています。

①景観ある街並みづくり(景観まちづくりプランに委ねている)

②来訪の動機付けとなる商品開発と地域サービスの企画(これが目玉かな)

③広域的な連携による魅力の発信。

 3本目は、利根川をはさんだ群馬県市町との連携を掲げています。これは非常に関心が惹きつけらることで、今後の事業に期待したいと思いますが、先日、北部地域振興センターを訪ねると、計画は過去のものになっているように感じました

写真「熊谷・太田」周遊ツアー開催時スナップ(25.10.6埼玉県HPより)

 

●聖天山とその周辺地区とは

 まず、確認しておかなければならいことは、「聖天山周辺地区」と表現されている場合、当然聖天山境内を含めた周辺地区と受け止め、境内の景観整備と周辺地区の景観整備が一体的に計画されているものと、地区住民は思っていたことでしょう。

 ところが、計画に示されている内容は、境内に触れず、周りの道路や街並みが対象の内容になっています。

写真 古い絵図

 

●聖天山の景観上の課題

 来年聖天山は、開創840年記念の御開帳の年です。

現在は高野山真言宗の寺院ですが、八百数十年間、妻沼地域を越えて信仰を集め、特に、聖天山、大我井神社、歓喜院を取り囲む地域社会は、共に歩んできました。塀や石垣で境内地との境を作らず、一体となった門前町が形成され、住民もそれが当然と受け止めてきたことでしょう。古い絵図などでは境内地に住宅が立ち並ぶ様子が描かれています。

 また、聖天山境内を南北に抜ける市道1088号線(交差する県道の南の路線は1120号線)は、街道として歴史を刻んできました。県道羽生妻沼線は、新田街道(新田岩松家の江戸往復に使われた街道)といわれていました。その街道の裏街道として利用され、境内を取り囲むように流れる芝川手前で2つの街道は一緒になったのでしょう。現在の芝川にかかる「布橋」には、源頼朝が、武蔵国入間郡で鳥追いの後、下野国那須に向かう途中、当地を通り、利根川を渡河するために舟橋を設けて、その上に布を敷いて通行したとの伝説から付けられたといわれています。

 門前町は寺社との境界を高くしては成立しないのではないでしょうか。

 

写真 市道1088号線2018.6.3撮影)