白髪神社

 白髪神社は、聖天山の北東の利根川の土手を背負った畑地帯にあります。小さな社ですが、石造りの旗立に、式内社白髪神社と刻まれ、もう一方には高岡稲荷神社とあります。東岡地区の氏神様として、祭事が執り行われています。

 この神社の由緒には驚くような内容が伝えられています。

●旧妻沼町誌(昭和3年発行、復刻版平成7年発行) 

 祭神 白髮武広国押稚日本根子命(清寧天皇)・天鈿女命・猿田彦命

 由緒 承和8年(1086年前)2月17日創立

 荒井右門太郎貞家釋教與上人を祭主に請じて同姓鎮護の守護と崇  め奉る、古へは大社にして神領も一庄に及び、宮地も広く神饌も莫大なりき。而して四方に鳥居ありしが、天慶の兵乱にて宮領も荒毛し宇社も一つとなれり。然れども往古より社免御寄付あり、因って禮奠聊怠慢なく天下泰平、国土安穏、五穀豊穣のご祈禱怠らず勤行せしめしものなり。

 醍醐天皇延喜5年12月日本国中3132座を延喜式内の神社と撰ばせ給いし時本社は其の一に加入せられたること旧記に詳なり。

 ●埼玉の神社誌 

 一説に、当社は「延喜式」神明帳に載る幡羅郡四座のうちの一座「白髪神社」で あると伝える。これは「風土記稿」幡羅郡の中に白髪社が当社一社だけであることをその論拠としている。しかし、地形的にみて低地である現在地に社が奉斎されたとは考えにくく、後に他所から遷座してきたものと推測される。

 これについては「大日本史」の「白髪神社 今妻沼村に在り、白髪明神と称す。古へ大我井森に在り、後今の地に遷る」との記事が参考になろう。大我井の森とは、当社鎮座地南方の微高地にある聖天山歓喜院の境内一帯を指す。あるいは、女体様が座す女沼を切り開いて耕地となし、村落を形成して行く中で、村鎮守としての稲荷神社が祀られ、更に、大我井の森から白髪神社が遷座されたのであろうか。なお、白髪神社の創建には、清寧天皇の白髪部とのかかわりが考えられる。

 *「延喜式」神明帳とは 

 延喜式は、平安時代中期に編さんされた格式(律令の施行細則のこと)で、その中の神社を記載したものが神明帳。

 

 妻沼地域内で、最も格式の高い神社といえますが、この件については、諸説がありますので、これから時間をかけて調べてみたいと思います。